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コービー引退会見(和訳) - B-BALL MUSE
先日 Player’s Tribune にて引退を表明したコービー・ブライアント。同29日のペイサーズ戦後、改めて会見をしたコービーの言葉を和訳した。 原文はこちら 会見の動画はこちら いつ引退を決めたかについて: 自分ではもうしばらく前から分かってた。もし状況が変われば気持ちも変わるかも、とずっと言ってきた。でもそれって実際、どういう意味なんだ?と思ったんだ。外部の状況に合わせて決断するようなことじゃない。自分の内から決断しないと。最終的に自分はもうこれをやり続けたくないんだ、と認めざるを得なかった。それでもいいんだ、と。それを受け入れた後は周りに知らせることにした。自分の肩の荷も下りたし、みんなも同じだろう。それが正しいやり方だと思った。 (今日の)試合で精神的に疲弊したかについて: いや、特にそうでもなかった。連戦の2戦目だったからそういう意味では疲れたけどね。でも正直いい気分だよ。(引退の決断を)心から受け入れてるし、次に起こることが本当に楽しみだよ。 引退するにあたって一番難しいことは: 正直いってわからないな。まだなんとも言えない。来年トレーニングキャンプの時期になって自分がそこにいない、ってなった時には答えやすくなってるかもね。でも今は本当に心穏やかなんだ。今まで本当にすごく努力して、今はクソみたいなプレーをしてるけどそれでも一生懸命やって… クソみたいなプレーをしないように本当にすごく努力してるんだ。自分はでき得る限り全てのことをしてるから後悔はしてない。 今季がサヨナラツアーになることを受け入れているかについて: いや、そういうのはすごく心地が悪いね。アウェーで出会うファンたちを尊敬してるし、むしろ俺の方が彼らに感謝すべきだ。お互いにありがたみを感じて敬意を払えたらそれで十分。本当にファンには感謝してもしきれない。俺にとってのモチベーションだし、これまでに成し遂げることができたことも全てファンのお陰だ。ファンには多大なリスペクトを抱いているし、愛してる。 火曜日に行われる地元フィラデルフィア戦について: 美しいだろうと思う。俺のゲームの大部分はフィラデルフィアで育んだものだ。ロウワー・メリオン・ハイスクール、コーチ(グレッグ)ダウナー。サニーヒルリーグでプレーしたこと。素晴らしいコーチがたくさんいた。タスティン公園でプレーしたこととかね。本当に良い思い出ばかりだ。すごく特別な体験になると思う。 今季が最後になると思いながらシーズンをスタートしたかについて: 君たちにもわかったんじゃないかな。これで最後、でももし何かあったら… でもそうやって決めることじゃないんだよね。自分自信で決めないと。心からプレーし続けたいという強い願望があればそうするだろうし、自分を問いただしたりもしない。決めかねるということもないだろう。心から決めたことだと言い切れる。 どうやってこれで終わりだとわかったかについて: あまり禅っぽいことばかり言いたくないんだけど、実際に瞑想を通して分かったことなんだ。(瞑想中)今まではいつも考えがバスケットボールに行き着いていたんだ。いつだって必ず。でも今は違う。時々バスケットボールに行き着くけど、いつもじゃなくなった。自分にとってバスケットボールはこれ以上執着し続けるものではなくなってるんだ、とそれで気づいた。 今すぐ引退することを考えたかについて: いいや。だってこの苦しみの中にたくさんの美しさがあるから。変に聞こえるかもしれないけど、俺にとってはうまくいってる時と同じくらい辛い時も大切なんだ。辛い思いをするのは、そこで自分自身について学ぶことができるから大事だと思う。辛い思いをしながらアウェーでもジャージを着て、各アリーナで最後のプレーして、今季をプレーしきるのが本当に楽しみだよ。 引退することを聞いた家族の反応は: 「えーーうそー」って。複雑な心境なんだと思うよ。バスケは俺が3歳の頃からやってたことだとわかってるし、俺が人生丸々バスケットボールに捧げてきたことも知ってる。お父さんがそのパッションを失ってきてる、今までずっとやってきたことができなくなってきてる、ってね。でもその代わりもっとお父さんといられる。それは楽しみにしてるみたいだね。 Players Tribuneに掲載された、バスケットボールに宛てた詩について: すぐに書けたよ。誰に何を言いたいか考えて、決めてからはね。バスケットボールというゲームそのものに話しかけたいと決めてからはすぐだった。変かもしれないけど、ゲームそのものに話しかけるのは初めてだったんだ。いつもファンやチームメイトとかで、バスケットボールそのものに自分の気持ちを告げたことはなかった。その視点で書くことを決めたら、あとは数分で書きあげることができた。 お別れを言うことが悲しいかについて: 違う、美しさだ。あるのは美しさ。ひとつのサイクルを終える、という。成長と成熟の自然な進歩だ。そこに悲しさはない。本当にたくさんの素晴らしい思い出がある。自分がもはやディフェンダーを抜き去ることができないことにも美しさを見出すことができる。朝起きて身体が痛むのにも美しさがある。そこに至るまでのハードワークを知っているから。だから俺は悲しくはない。自分が得ることができたものに感謝してる。 キャリアの終わりにたどり着いたことを受け入れることについて: 俺はプッシュし続けるし、試し続ける。それは止まることはない。朝ウェイトトレーニングをして、1日に3回ストレッチする。今日家に帰ったらまたストレッチするんだ。まだ氷にもつかる。翌日起きたら、飛行機に乗る前にまたウェイトトレーニングをする。やめたりはしない。どうやったらいいのか、プッシュし続けて考える。それが俺だ。絶対に降参はしない。受け入れるし、理解はする。で、そこからどうやったら上手く打ち勝つことができるか考える。ベストを尽くして、前に進むんだ。 日曜の試合で配られたファンに宛てた手紙について: ファンが自分にとってどれだけ大事が知ってもらいたかった。正直いって手紙なんかじゃ足りないよ。俺はここで育った。それが俺にとってどれだけ意味があることか、なかなかわかってもらえない。たくさんのオファーがあっても絶対に別の街にはいかない。絶対に起こり得ない。ここが俺のホームだし、ファンには俺の気持ちを知ってもらいたかった。どれだけ感謝してるか。手紙なんかじゃ伝えきれないけどね。 引退を決める前に元選手に相談したかについて: 何人かとは話したよ。幸いなことに自分のミューズたちに電話をかけて彼らの経験について聞くことができた。でも最終的には自分で決めないといけないことだった。自分が何を感じてるのか?またプレーしたいのかそうじゃないのか?質問はシンプルだけど、鏡の中の自分を見つめて聞くのは難しい。現実的な答えは「ノー」だった。その時点で無理する必要はないだろ? バスケットボール後の人生について怖いと思うか楽しみかどうか: 両方。でも素晴らしいことだよね。最高だ。 1年後の自分がどうなってるかについて: わからない。でもパッションはいくつかあるし、自分の全てをかけてそれを追うよ。バスケットボールで学んだことを生かして、バスケに夢中だったようにそれらにも情熱を注ぐよ。 お別れを言う際に泣く可能性があるかについて: コート上ではないね(笑)。そこでは泣かないよ。でも感情的にならないって言ったら嘘になる。自分の中でこれが最後だってわかってるのと、実際に声に出すのとではちょっと違うからね。もうみんな知ってるから、より決定的な感じがあるよね。それで他の選手たちからもらうメッセージが最高だよ。「インスピレーションをありがとう、レッスンを、メンタリティーを教えてくれてありがとう」ってね。俺にとってはそういう、同じ選手たちからのリスペクトが一番嬉しい。これ以上のことはないよ。 自分がNBAに残した影響について: デトロイトとの試合でのことなんだけど、キャプテン同士のミーティングでちょっとボーッとしてたんだ。キャプテンは2人まで許されてるんだけど、俺が出ていくとアンドレ・ドラモンドともうひとりのキャプテンがいる。そこにさらにもう1人選手がいてアンドレの後ろに隠れてるから誰かは見えなかったんだけど、審判が「キャプテンは2人までだよ」と言うと「(コービーと)握手したかっただけなんだ」って言ったんだ(笑)。誰かは見えなかったんだけどね、アンドレの後ろに隠れてて。アンドレの後ろからスッと手が伸びてきたのだけが見えて、握手したよ。俺に話しかけたり電話で質問してきたりする選手たち、そういうのが一番嬉しいね。自分が残した影響、メンタリティー、アグレッシブさ、勤勉さが伝わるのがね。 バスケットボール以外のことに興味(パッション)を見つけたことで引退しやすくなったかについて: そうだね、引退の決意をするにあたって安心感はあるね。自分のパッションの奴隷にならずに済む。実際、引退後に何をしたいか思いつくまでにすごく時間がかかった。正確にいうと15年。次にどうする?というのはアスリートの多くにとって悩むところだと思う。俺は21歳という、ずいぶん若い年齢でその質問の答えを考えていたから良かった。それでも答えが見つかるまでに15年かかった。難しいのは「どのマーケットに参入するのが一番いいか?あれやこれをどうやってマネタイズすべきか?」という考えに囚われてしまいがちなことだ。こういった質問は根本的に間違ってる。 なぜ若くして引退後について考えたのか: 好奇心があったんだよね。ミラノにいった時、ジョルジオ・アルマーニに会って彼がどうやってビジネスを築いたのかを尋ねたんだ。彼は40歳でビジネスを始めたと言った。当時俺は21歳だった。「35、36歳くらいまでプレーするとして、アルマーニは40歳で自分のビジネスを築いた。俺は残りの人生をどうする?次なるステップは?」と考えたよ。そこから色々試したりして、どうするか考えはじめた。これをやったりあれをやってみたり、自分のパッションは何なのかを知ろうとした。バスケットボールほど簡単なことじゃないんだ。俺はバスケをするために生まれてきたけど、その次は何なのか。難しいよ、本当に。でもアスリートはみんな考えないといけないことだ。 コービーにとって次のステップは何か分かったかについて: もちろん。俺はストーリーテラーだ。ストーリーを伝えるのが大大大好きなんだ。人をインスパイアする物語を伝えるのが好きだ。クリエイティブな方法で何かを教えるのが好きだ。パズルになってるピースを繋いでいくのが好きだ。「Muse」のドキュメンタリーを作るまでは自分にそういう一面があることを知らなかったんだ。で、作ってる最中に「これ楽しいな」って。自分の中に燃えたぎるものがあるんだ。 2016年オリンピックのアメリカ代表を目標としているかについて: いいや。もし、なれたなら光栄だけどね。そのグループの中にいられて最後の旅みたいなことができたら最高だと思うけど、それにこだわってるわけではないよ。 コービーの物語の中で一番良かった部分は?: 勝てなかったチャンピオンシップと、そのための苦労。それがあって旅は完成するんだ。チャンピオンシップだけだったら敵も競争相手もいない。一喜一憂もない。醜い場面があってこそ映画の最後は美しい。そういう場面こそ大切にしたいと思う。 …